体験できることは何でも体験したいという気持ちが強くなり
私は給与を振り込んでいる銀行にいきました。
店舗用の建物一室を手にいれるためのお金が貸してもらえないか
打診するためでした。
銀行の二階に上がって融資担当の人に会い、
仕入れたばかりの『店舗銀行システム』の話をしました。
意を尽くして説明したつもりでしたが、
「あなたたちご夫婦で飲食店を経営するのですか」
と聞かれて、私はお願いするのは時間のムダだと思いました。
 

そこで私は思い切って事情を飲み込んだ姉に頼んで
お金を借ることにしました。
そして私は博多の隣の小倉にある店舗のオーナーになりました。
この投資は、2年ばかりたったところで、
葛和さんからの方から運営が難しくなった、
物件を売ってほしいと要請があり
結果として、短命に終わりました。
 

ただ金銭関係は無くなっても、人間関係は続きます。
私はずっとあとになって製鐵所の遊休地の開発を
担当することになりました。
他方葛和さんは博多でイル・パラッツオといった
外国のデザイナーを起用したホテルを建て、
時の人になっていました。

私は葛和さんを渋谷の事務所にたずね、
集客ビジネスについてのアドバイスを求めました。
葛和さんは時間をやりくりして北九州市まで来てくださり、
いろいろ意見を述べてくださいました。
一緒に仕事をすることにはなりませんでしたが、
私に集客ビジネスに実績を持つ人を引っ張り出せたのも、
もとはといえば邱さんの本を読み、多少の実践をしていたからでした。